夾竹桃の紅い花は
うだるような暑さの朝、娘を保育園に送っていく途中、鮮やかな濃い桃色の夾竹桃の花を見つける
。この花を見るといつもこどもの頃に読んだ原爆の本を思い出す。
原爆投下は私の両親さえ生まれていない昔の話だけど、今よりはまだあの戦争が身近にあった頃。夏休みには戦争特集がテレビで流れ、蒸し暑い薄暗い居間で家族で食後のスイカなど食べながら観ていた。幼い私はなんとなく夏の風物詩として、戦争はやだな怖いなと思いながらも「あなたの知らない世界」と同じ様な怖がり方をしていたんじゃないかと思う。
テレビでやっていたのか定かではないけど、アニメで風船を持っていたおかっぱの女の子が、飛行機の音が迫る中、閃光とともに一瞬で溶けて目玉だけが転がっていく(うろ覚え、youtubeで確認する勇気なし)という映像が脳裏にこびりついていて、今でも飛行機の音はちょっと苦手。
ちょうど娘がその女の子と同じぐらいで、もし自分の娘が。。。と想像するだけで息が止まりそうになる。焼け焦げた息子、影だけ残った夫。。。あらん限りの想像力でもしもを想像してみる。
でも、およそ人ができる想像をはるかに超えた現実が昔読んだ本には描いてあった。
暑い中、こどもと一緒にいられるひととき。そんな幸せを噛み締めながら、汗だくになってこどもを園まで送り届ける。
こどもが生まれてから、初詣ではいつも「世界中のこどもたちが幸せに平和に暮らせますように」と祈っている。神様は身の程知らずを鼻で笑っているでしょうか?
今日は73回目の原爆の日。
やはり「世界中のこどもたちが幸せに平和に暮らせますように」と祈らずにはいられない。
こんな夜には特に
最近、寝ても覚めてもスピッツばかり聞いているので夫から訝しがられてます。
いったいどうした!?
自分でもよくわかりません。
今までは、車の中で夫のiPodの中の数曲を懐かしく聞くぐらいでしたし。
学生の頃、音楽好きの先輩にスピッツでどの曲が好きかと聞かれた時、「グラスホッパー」と答えて意外そうな顔をされたのを思い出します。
スピッツを聞くとやたらとその頃のことを思い出して胸が苦しくなるのです。
その先輩が好きだったとか、そのころの自分が一番輝いていて戻りたい、とかそんなのでは全然ないのです。
その先輩が亡くなったと連絡があったのはもう2年前。卒業してほとんど会うことはなく、久しぶりに会った時に、「相変わらず食い方汚ねえな」と嬉しそうに笑っていた先輩。ほおばった焼きそばを口からはみ出してニャハハと笑う私。その時はそれが最後になるなんて思いもしなかった。
もう戻れない過去をノスタルジックに振り返るのはなんだか恥ずかしい。
夫は「老いたな」と笑いますが、大人になったといってほしいです。
正義ってなにかね?
GWは本日まで。
実家に帰って妹家族と映画でも観に行こうという話になり、クレヨンしんちゃんを観にいった。
40代から4歳まで幅広い年齢層であったため、大人からこどもまで楽しめるナイスな選択だと思ったが、4歳児は怖くて終始泣きじゃくり、40代は橋幸夫のジェンカがぐるぐる頭の中で回り、結果として誰1人納得できないまま映画館を後にしたのだけど、まあそれはおいといて。
家に帰ってから、伊坂幸太郎の「火星に住むつもりかい」を一気に読んで、気づいたら明け方になっていた。
どちらも、「正義の暴走はおそろしい」というお話し。
ずっと私が感じてきたモヤモヤの輪郭を浮き彫りにしてくれたようで、GWに立て続けにこのような作品に出会えるあたり、なにか暗示的なものなのか、それとも最近息苦しさを実感しつつある人が増えているのか。
絶対的な悪人も絶対的な善人も、人であるならばまずいない。
そんなことはわかりきったことなのに、しばしば善悪二元論、敵か味方かで語られることが多い気がする。(特にネットの世界は。1bit脳なんていわれて)
世の中の仕組みや人の心なんてそんな単純なものではないから、そういった物言いには違和感があった。
同じように、絶対的な正義も絶対的な悪ももちろんない。そこにはそれぞれの正義があり、それがぶつかり合うこともある。
正義を振りかざして、わかりやすい敵を仕立てて脅威を喧伝し不安を煽るような言説には、まずもって疑ってかかったほうがよさそうだ。
続ける、ということ
Yちゃんの、ウィタ・セクスアリス2
男の子からパンツを見ることを拒否され、性の対象にならないと嘲り笑われたYちゃんは、女性として装うことを一切せずに娘時代を過ごしました。
それだけ深く傷つき、もう傷つきたくないので、鎧をまとったのだと思います。
セクハラ騒動の最中、「お前はセクハラの対象にならない」という発言をされる男性がいますが、いわれた方はYちゃんと同じ気持ちになるんじゃないでしょうか。
高名な流行作家がそのような発言を自身のツイッターに上げたと知り、絶望的な気持ちになりました。そういえば、彼の作品で唯一目を通したのは醜い女性の話で、読み終わった後ゴミ箱に突っ込んだのを思い出しました。
女性をそういう目線で見る人が書いたものだと、今になってようやく合点がいきました。