モテ期

小学生の頃のあだ名は「ブッチャー」だった。

誰よりも背が高く誰よりも太っていたからだ。

今よりずっと人の容姿におおらかだった時代ですら、その肢体は嘲笑の的となっていた。

あれから数十年。太った少女は小太りな中年女になっていた。

中年女にだって輝いていた時代がなかったわけじゃない。


高校生の頃、食べ過ぎた後にトイレで吐くとスッキリすることに気づき、食べては吐いた。体重はするする減っていき、男子の目付きがガラリと変わった。街を歩くと、電車に乗ると、学校にいくと声をかけられた。小学校のころブッチャーとあだ名され、はないちもんめでは一番最後まで残った少女は、おおいにうろたえ、そして壊れた。


自分が受け入れられるためには痩せてなければならない、そのためには食べたら吐かなければならない。私の20年間は食欲との闘いだった。

でも、誰にも話したことはなかった。

いつでも笑って、バカな話をして、悩みなんかなにもないみたいな顔をしていた。


今でも狂ったように食べ過ぎることは時々あるけど、もう吐くことはない。

中年女はもう諦めたわけでも、今の生活に100%の幸せを感じているわけでもない。

ただ、ありのままを受け入れてみようと思ったのだ。

ありのままを受け入れてみると、思ったより心が楽になっていることに気がついた。


東京は大雪

11月にも雪が降った。

地球の断末魔が聞こえる(のか?)

こんな日も仕事だった。

こんな日は暖かい部屋で雪景色を眺めていたかった。

こどもを一人で育てるためには仕事をし続けなければならなかった。今、続けなければならない逼迫した理由はないが辞める気にはなれない。

また差し迫った理由ができないとも限らないから。

楽をしてお金を手に入れたい、そんな空気を全身にまとっていたのか、経済のお勉強会のお誘いがあった。いってみると意識の高そうな男女が数人、大人の人生ゲームのようなもので遊んでいた。ゲームは楽しく投資センスが養われたような気になったものだ。後日経済のセミナーがあるというので、もっと投資センスを磨こうといそいそでかけていった。セミナー開始前に紹介された人は、モノグラムのブランドバッグ下げて、また新しいのを買ってしまった、と自慢していた。もう一人は車を買い換えた、といった。その新車の値段がいくらなのか私にはいまいちピンときていなかったが、皆の賞賛の声にその価値を察した。

セミナーが始まり壇上に現れた一人のご婦人。盛り上がる会場。年齢の割にずいぶんテリテリした人だなあと思っていると、その美の秘訣を披露しはじめた。まず、サプリメント、そして美顔ローラー、さらに健康ドリンク、これらがすべて自社で製造された素晴らしいもので、広告費をかけないので格安で手に入る。さらにお友達に紹介して売れればマージンも入る。。。あれ?あれれ?


これって。。。マルチ?

もしかして、経済的自由ってマルチのこと?


心から落胆した私は、とぼとぼと会場を後にしたのでした。


ちなみに、一連の流れはすべて、お作法どおりのマルチの勧誘だったようで、ネットにザクザク似たような体験談が載っていました。


Yちゃんのウィタ・セクスアリス

保育園でお友達とブランコに乗っていたYちゃん。おませな男の子がスカート隙間からパンツがのぞけないかとニタニタブランコの前に陣取っていた。女の子たちは見られまいとしてスカートをパンツの裾に挟むというかわいらしい防衛策で抵抗。Yちゃんも倣っていそいそと木陰に向かおうとしたところ、「おまえのはみないからいいよ」と笑われる。恥ずかしさと悔しさと悲しさとを受け止めるには幼すぎたYちゃんは、「ただみんながどうやったか見にいくの」とわけのわからないいいわけをして、木陰で一人涙したのでした。

これがYちゃんが自分の性を意識した最初の経験。決してパンツを見られたかったわけではないのに。自分の意思とは無関係に、競りにかけられて買い叩かれる。Yちゃんのその後のもてない人生を決定づけたできごとでした。

医師妻セレブ日記

というブログで日々のラグジュアリーライフをつづっていたのが10年前。

すでに医師妻でもセレブでもなくなって久しい。

あの頃の生活費が今の手取りとほぼ変わらない、とわかっていたら、私はあの生活を手放しただろうか?

浮気、暴力、モラハラ、性の不一致、およそ離婚理由となる要素などなにひとつない結婚生活だった。今でもきっかけがなんだったのか思い出せないでいる。

ただ、思い出すのはちょうどもうすぐ桜の咲き始めるこんな季節、駅から社宅までの長い坂道をまだ小さかったこどもを前にのせ、充電の切れた電動アシストをこぎながら帰った日々。

ふと眼下の坂のはるか下に鬱蒼と茂った林と沼のような暗がりが目に入った。それからはその坂道を上がる度にその暗がりへと目を向けてしまっていたが、昼でも暗いその光景は霊感ゼロの私でもなにか見えてしまいそうな雰囲気をたたえていた。

後にそこが江戸時代の有名な刑場であること知った時は、霊感ゼロの私でも感じる禍々しさに納得した。

今思えば、その地での生活が私の精神にあまりよくない影響を及ぼして小さなひびが取り返しのつかない亀裂になってしまったのだろう。

水が合わない、というのは土地にも人にもいえるということ。

こどもを連れてお出かけ

土曜日にソファからほとんど動かない1日を送ったので、(まあだいたい休日はそんな感じ)

日曜日は挽回しようとこどもとミニ動物園いってきました。


桜のつぼみはパンパンで開花を待ちきれずいまにもほころび出しそう。

こどもは初めての場所でヤギやブタにまで大興奮。上の子とは何度もきていたので懐かしさに私も大興奮。親子で春の訪れを感じながらの楽しい時間を過ごしました。


駅の方まで歩いてカフェでランチをしてエスカレーターで下に降りたら本屋さんだったんです。そこでこどもがアリエルのコンパクトミラー付きブックを見つけてしまい、さあ大変。

欲しい欲しいと逃げ回り買ってくれないとわかると大泣き&大暴れ。ハトヤの魚状態のビチビチを抱えて本屋さんを去ろうとして30代男性の脇を通り過ぎようとした時、「しつけぐらいちゃんとしとけよ」と舌打ちとともに石つぶてのように投げつけられました。

一瞬のことで頭の整理がつきませんでしたが、自分のことを言われたと理解した時は引き返して同じぐらいの罵倒をぶつけてやろうかと瞬間湯沸かし器は思いました。

子連れでの無用なトラブルは避けたいと踏みとどまり泣きわめくビチビチしたものを抱えて雑踏を歩いていると後ろから、「(こんな大勢いる中で)泣かせるのやめてほしい」と聞こえがよしの声が。振り向くと20代後半ぐらいの男性がニヤニヤ彼女と話していました。


パンパンにふくらんだ楽しい気持ちはふしゅ〜と音を立ててしぼみ、泣き疲れて眠る子を抱えてバスに乗り込んだのでした。