隣の芝生は

我が家では毎年桜が咲くとみんなでお弁当持って近くの公園にいきます。

見事な桜並木に囲まれたその公園は、郊外ということもあり、都内の有名どころに比べるとあまり労せず桜の下のベスポジを確保できるなかなかの穴場であります。

唐揚げと卵焼きとウインナーと焼きそばという定番のお弁当を朝から張り切ってこしらえて、桜の下でビールを飲みながら食べる。

お腹がいっぱいになって眠くなり、少しウトウトして、暖かくなってきたとはいえ三月の名残りかまだ少し冷たい風に体を冷やされて、じゃあそろそろ帰ろうかといって家路につく。

毎年毎年なにをするわけでもなく、桜を見てお弁当を食べる。ただそれだけのことですが、今年もまたみんな一緒に桜を見にくることができた幸せをかみしめ、桜の季節を迎えることができなかった友を偲び、そしてまた来年も桜を見にこれるように今年もがんばっていこうと思ったりします。


こうしてみると、自分ってけっこうリア充なんじゃないかと思ってきますが、それも最近の話で。朝がきたらまた1日が始まるのが憂鬱で、1分1秒を息を詰めて過ぎるのを耐えていた時期もありました。離婚を決めてからは、メリーゴーランドとジェットコースターにいっぺんに乗ったような疾走感と高揚感でここまできた気がします。

手に入れたかったものは、あまりにも平凡な幸福。それはなにもかもぶち壊さなければ手に入らなかったものだったのか?

今となっては正解など出せませんが、あの頃の私は隣の芝生が青く見えていたけれど、自分の家だって充分青いことに気づかなかったんだと思います。